善 意
なぜかこの国では
人に対する善意の行いは
名前を秘して匿名で行うのが
美徳と思われている
もちろん人に対する善意、善行は
やたらと自慢したり、
自ら喧伝するものではないと思うが
他の国では、たとえば施設や災害時などへの
慈善行為は別に氏名を公にすることに
何のためらいや抵抗感を抱くことなどないようだし
その行為自身や名前が公表されることを
誇らしくおもったりしているのではないだろうか
どうしてこの国ではそれを
秘する気持ちが強いのであろう
子どもたちの間では小さい時から
正直で素直な善意の行いを、正しい行為を
周囲の者が揶揄したり、かっこうをつけていると
陰口をたたく風潮が目につくように思う
たんなるやっかみなのか、もっと根が深いのか
それはいじめの対象にもされる要素となっている
正直者がバカをみたり、
からかいの対象とされる社会はおかしい
悪意のあるものの標的にさえされかねないとおそれて
名前がでることを警戒しているのかも知れない
それを問題に感じなければならないのだ
匿名の善意の行為が多くの人の共感を呼んだり、
連鎖反応をおこしたりすることもあるように
けっして善意の行いを人は否定してはいないのだが
なぜか、この国では善意は匿名で行うのが
美徳なのだ
善意を送られた人はだれに感謝をするのか
すこしさびしい話に思えるのだが
しかし、匿名でも仮名でも善意の行いは人の心を打ち
多くの人の共感と拍手が生まれる
善意を送った人は、それが喜ばれ人の役に立ったことに
幸せを感じ満足しているに違いない
そう考えれば、匿名にするかしないかは問題ではなく
本当は善意そのものに大きな意味があるのだ