自作詩歌 木洩れ日の記憶

 忘れたい過去

悲しかった思い出
辛い記憶
数え切れない失敗
悔し涙 
諦めきれない恨みごと
恥ずかしくて人に言えない
行為の数々
若気のいたり、後悔の日々
いじめもあったかもしれない
人は誰でも 忘れたい過去
思い出だしたくない過去を
たくさん抱えて生きている
考えれば 胸が痛くなるような
気がするので なるべく
考えないようにしているのでは
ないだろうか


忘れたい過去は、
できれば、残らず
忘れてしまいたい のかもしれない
しかし
それは自分の人生の歴史
そのものでもあるのだ
それを消してしまえば
自分を否定することに
つながるということだ
それを乗り越えてきたからこそ
今の自分があるのだ


そして とりわけ
大切なことは
過去の自分の行為によって
もし 傷ついたひとがいれば
それは、
忘れたい過去であっても、絶対に
忘れてはならないという
ことではないだろうか


立場を変えれば
傷ついたひとの心は
その人でなければわからない
けして忘れることの出来ない
心の痛みなのだ


ならば
傷つけた本人が忘れたいと思うのは
甚だ身勝手な話だということだ
だからこそ
相手の心を思いやる気持ちをもって
忘れてはいけない過去に対して
しっかり向き合い、その想いに寄り添っていく
心を失わないことが大事なことだ


それは一人の人間としても
ひとつの国として考えても
同じことではないだろうか


今年は、折しも
戦後70年の首相談話が出される
ということで注目を集めている
周囲では、
過去の歴史を本当に学んだのか
または、過去の歴史を忘れたいのか
疑わしく思われるような人の声も
聞こえるが、忘れたい過去と
忘れてはいけない過去を
間違わないことを強く願っている


私たちの国では
忘れたくない過去
忘れてはいけない過去を
たくさん持っているのだと思う
唯一の被爆国日本として
けして 忘れて欲しくない過去だってあるのだ


被害を与えた国では
忘れたい過去・記憶であっても
与えられた国・人の記臆にとって
苦しみ、悲しみはけして消えることはないのだ
その痛みを互いに共有することで
忘れたい過去は
ともに未来を語る過去へと
変わっていくのはないだろうか
それを信じて
未来に向かっていきたい



  「 過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる 」
             リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー